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反省等々

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自分に自信が無いというのは、極めてよくない兆候である。

そういうのは態度に出る。それが相手への不安を煽る

 

一時期僕は英語狂になっていた。過去のブログをみると、それがよくわかる。海外へ行ったのに、小難しい英単語を見た瞬間眠気がくる体質から、数年前に250点のTOEICをとったまま、TOEICに手を出せずにいた。せめて500点は欲しい。欲を言えば600点以上は欲しい。

 

ということで、朝から晩まで極力日本語を排除して勉強した。そうしたら、510点になった。250点上がったのである。

 

ということで、まず基本レベルまで到達した。でも、それ以降の目標がどうもぼんやりだ。

 

今回の経験で、確信がなくても「出来るんだ」という自信を常に持ち続ける重要性を僕は感じた。「いや、独学とか絶対無理だろう」とか思った瞬間アウト。負けだ。

 

さて、僕は何をしたいんだろう。今僕は新人研修を受けている。要は、会社からお金を頂きながら、学ばせて頂いているのである。これは非常にありがたいことである。

 

でも、研修で学ぶ事は皆学ぶ。つまり、画一的に受動的に同じことを学ぶだけだ。僕が会社組織に属する人間でなくなったとき、その意義は瞬時に失われる。それでいいのか?いや、まずい事だ。僕から会社を引いたら、僕は何なのか?

 

まず、記憶を保つという意味で、必要最低限の知識以外の排除はかなりの意味を持つ。即ち誘惑排除である。それらを頭にいれてから、また復元記憶する必要性があるためである。

 

■泳ぎ屋としての自分

週に2回以上。これノルマ。というか、これをやらないと仕事が出来ない。

 

■英語屋としての自分

ベースとしては出来上がっているものがあるので、向上させようと思えば、なんとでもなる。何より、日本のテレビはつまらない。

 

■漫画屋としての自分

panpanya先生のような、情緒あるぼんやりした短編漫画が自分にあっているように思う。逆に言えば、線のしっかりした漫画は僕には描けない。

 

■鉄道屋としての自分

配属先はまさしく鉄道だらけなので、大変ありがたいのだが、役立つのは地理的知識ぐらいだ。これ以上知った所で、無駄に感じる。

 

■技術屋としての自分

まあ、手元にサーバーPCが無いので実践が出来ない。である以上、ある程度は座学程度の知識+αで留めるといったところか。